この問題に対するごく個人的な考察 PartⅡ

なぜ日本人は自己(個)を育てようとしないかは、それこそ生きる為には自我を抑えて協調して働く必要性がある「農耕稲作民族」の血が成せる技なのかも知れませんが、「協調」と言えば聞こえは良くても、実は一人一人の人間が自分で物事を決断しなくても回りに合わせていたら一応は生きていける事から、思考停止して決断力の無い人間がどんどん生み出される社会でもあるわけですね。
子供の頃から自分自身の行動を大人に頼らず自分で考えて決断を下し、その決断に従ってリスクを覚悟した行動を続けていれば、自ずから自律的個性が育ってくるはずです。
そうすればその後はリスク判断にも長けて優先順序を常に考えて行動する賢明な「個人」に進化する可能性が得られます。
日本においては「個人」が一人歩きして軋轢を生む事を余りにも恐れますが、鬱屈の少ない精神的に健康な社会には個と個の衝突が必須なはずです。
自律的個性が自分勝手な「個人主義」「利己主義」に陥らないためには、もう一頑張りが要るんですよね。
日頃から自己と他者との関係において試行錯誤を繰り返して自分流の価値観や、物事を計る評価基準(座標軸)が明確に成ってくると、もはや周囲の評価ばかりに気を取られて一喜一憂する「ひ弱な感性」は消滅しているでしょう。

自分には自分の価値観に沿った生き方があり、他人(ヒト)には他人の生き方があると、かけがえのない自分自身を大切にすることで、他人のかけがえの無い人生、価値観も尊重できるのではないでしようか?

健康な精神を特定することは実はかなり難しいことですね。 
肉体の健康は人間ドックにでも入れば判定できますが、精神が真に健康であるかどうかを測る診断基準も有りそうで実は無いので本当に難しいと思います。その意味で健全な「自己認識」を考えてみると(精神医学的に健康といえる自己認識)、まず①自分の肉体を司る精神がたった一つで、それが「自己」であり、全てに勝る唯一の存在であるという意識、オンリーワンの感覚ですね。しかし、②そのたった一つのかけがえの無い自己であっても80億人の住む地球上では80億分の一の命でしかないという事実。自分にとっては100%の”自己”も他者にとってはほぼ限りなく0%であるということが解っていること。
この①と②の絶妙なバランス上に健康な”自己”が存在するのだと思いますが、引きこもり状態にある人たちはこの②のオンリーワンでありながら、社会全体の中ではごく小さなワンであるという事実、それ故にこそこのオンリーワンの価値が自己の中でキラ星の如くに輝くのだという自負心が足りないのではないでしょうか?

人間の歴史は数万年以上もあって未来も数万年以上は有るのでしょうが、 お互いに今ここにいる「自分」という人間が生きているこの時、この時代はたった一度、この瞬間だけなのですよね。 もちろん過去にも無かったのだし未来のどの時代にももうこの「自分」はどこにも存在しないのです。 ”輪廻転生”なんてのは貧民を”飼いならす”の為の思想的テクニックにすぎませんよ。
今この時に、自分の命の”きらめき”をこの地球上に放ちたいものです。
 ※私たちの身体からも確かに生きている生物特有の微妙な光が放たれているんですよね。
先に書きました中国で働いている日本人に言わすと、日本だとどのような疑問も「正しい答え」や「真実」はいつも「たった一つ」だと思っていたが、こちらに来ると信じられないくらいにあれもこれも正解として堂々と臆せず存在するので、結局は自分や他人の行動の成否に対して神経質に考えること自体が馬鹿らしいことと思うようになったらしいのです。
つまり、これって価値観の違いだけ正解や真実(?)があるということですから、日本よりも中国のほうが、過酷な歴史と濃密で多彩な人間関係の中で育つ人が多い分だけ自己意識に目覚めた人が多い社会なのかもしれませんね。

では「引きこもり予備軍」でもある「自己の確立」に失敗してしまった人たちはどのようにして改めて自己を立ち上げれば良いのでしょうか?
私なりに何とかアドバイスを考えてみたいと思います。

幼児期から思考と決断を第三者に頼って行動し、リスクから逃げてきた精神形成に問題があった訳ですから、一朝一夕で建て直しは難しいでしょうが、地球上で最もポジティヴな生物である人間の脳細胞は死ぬまで前向きに働いているのですから適切な方法を選択し、時間をかければ可能なはずです。
90歳を過ぎて自分の脳と身体をもう一度作り変えた医師・塩屋信男氏(現在98歳)もいますよ。
7月に京都でお会いしましたが精神力が歩いているって感じでした。(彼についてはネットで検索してください)

少し話は横道に反れますが、テレビ朝日の黒柳徹子のトーク番組「徹子の部屋」をずっと見ていて気づいたことがあります。
あの番組では芸能人以外でも世間の注目を集めた色々な職業の方々がゲストとなってトークを繰り広げる訳ですよね。
ゲストの方々はつまりはその職業において一応は功なり名を遂げた方々ばかりだと思いますが、私が見た限り80%以上の方々は現在の自分の状況は昔の自分からは想像出来ない、信じられないと言っておられたのです。
要するに彼らは子供の頃からこう成りたいとか、こう有りたいと夢に描いていた状況とは全く違う所に居ながらも人生における成功を勝ち得たというか少なくとも充足した現在を送っている人たちなんですね。
受験や就職試験の失敗、病気や家庭の事情などで、元々持っていた希望や夢が破れた経験を持ちながらもその時々の人との出会いをきっかけにして遭遇した仕事に何年か食い付いている内に、何時の間にかその環境の中に新たな自分の生きがいや夢を見つけた方々と言ってよいと思います。

職業的性格と言うものがありますね。音楽家に言わすと演奏楽器による性格的特徴も有るらしいのですが、その一つの職業なり、楽器なりが持つ特性がそれに長年携わる人間の個性をも変えてしまうのです。
例えば長年に渡って営業職にある人はやはり人を逸らさない会話が上手ですね。
逆に技術屋さんは出来上がったモノが勝負であり、対象物にエネルギーが注がれる毎日ですから人間相手のパフォーマンスは苦手なはずです。
楽器でも弦楽器の演奏家と打楽器の演奏家では性格は正反対だそうですよ。
つまり、たずさわる仕事の内容に影響を受けて生まれつきの性格が徐々に変ってくるのです。
そして長い年月を経て、元々の自分の持つ個性に職業の持つ特性が加わって、新しい独自の「自分」が出来上がるのですよ。
私はこのようにして出来上がった「自分」こそ若者達が「自分探し」と称している「自分」の正体ではないかとも考えているのです。

先の徹子の部屋のゲスト達も(年若いアイドルタレントは必ずしも違うかもしれませんが)言い替えると、この様にして「自分」を探し当てた「自分探し」の成功者達と言えると思います。

ではこれらの「自分探しの成功者達」の行動をチェックする事により、自己の確立の途上にあり、さ迷える多くの若者が自分を探し当てて幸福な人生を送れるかの大きなヒントが見つかるはずだと思いませんか?
そして「自分を探し当てる事」は「自己を確立」することに即リンクしていく大きな礎であると思うのです。


ではさっそくそのチェックに入りましょう!!

まず、すべての人たちに共通しているのは「人との出会い」ですね。「縁」と言っても良いでしょう。
どうやら自分一人では「自分探し」に成功しないようですね。
とにかく世の成功者を見ても子供の頃からの目標からは外れたところで成功を収めている人が多いと言うことは、一度は挫折感も味わっているはずなのです。
しかし、そこで現れた「誰か」のアドバイスに従って新しい方向に向かって第一歩を進めているのです。
挫折があってもめげていませんね。むしろバネにしてより一層強くなっています。

最初に「自己の確立」をしつこく言ったのですが、この場合にしっかりと自己が確立していれば、無闇に頑固に成らずに今の自分に何が一番必要かが見えてくるはずです。
自己の中で克服されなければ成らないモノ(短所)が何かが分かっていると、
そこにはアドバイスや助言、勧誘に対しても適切に判断し、スムーズに受け入れて行動できる自分が存在すると思います。

私も一応50歳を過ぎていろいろな人間を見てきましたが、悪人なんてそんなに居ませんよ。
引きこもっている人たちは世間の大半の人は悪意のある意地悪な人間に見えているようですが間違いですよ。
その様な色眼鏡で見たらその様に見えるだけで、第一、引きこもっている方々自体が余裕の無い態度で人に接しているのですから、赤の他人に対しては決して優しい思いやりを示していないはずです。
ご自身が家族を含めて第三者にどれほどの暖かい態度が取れているか、自分がどんなに人に優しく出来るかを胸に手を当てて考えてみる事も必要かもしれませんよ。

つまり、世間で言う「悪い人」と言うのは、実は「引きこもっている人達」と同じように自分自身の心に余裕が無いせいで、回りの人間の存在に脅えている被害妄想的人物がほとんどですよ。
脅えているからこそ自分自身を守るために攻撃的な態度や排他的行動に出るのです。
本当の「優しさ」とは本来は「心のゆとり」が形になって現れたモノでしょうからね。
ですから、外で暴走する人も引きこもってる人も根底の心理は大して変わりないと思いますよ。
心の不安や葛藤を外で暴れて発散するか、内にこもって自分の中で暴発させるかの違いでしょう。
荒れる原因の「追い詰められた心の狭さ」は似ていても表現方法が逆なんですね。

もとい、同性、異性、年上、年下を問わず、今の自分に必要な人物との「出会い」に関しては「幸福な人生」には必ず必要なシチュエーションですから、家の中に閉じこもって「出会い」のチャンスを無くしては幸福な人生は絶対に得られないのです。
「孤独」は「不幸」と同意語みたいなものですからね。
その意味では外で暴れている人のほうが、まだ出会いのチャンスはあるといえますね。
要するに「出会い」とは「行動力」でもあります。
そして又「出会い」とは貴方にとって「必要な情報のメッセンジャー」でもあるのです。
「犬も歩けば棒に当たる」の良い意味バージョンです。
良い出会いこそが貴方らしく生きるための最も必要な情報をもたらせてくれるのです。

自分の一生にとって、最も必要な人物(情報)がそんじょそこらに仏像のように鎮座しているとは限らないのですから目標を見失った時期は積極的に行動して今の自分を変えてくれる人間(尊敬出来る人ならばなお良いですね)との「出会いのチャンス」を増やす必要があるのです。
自分で自分を変えられる能力があれば「引きこもる」という最もネガティブな方策は採らないですからね。
他人に手助けを求めるしか失地回復、敗者復活の道は無いといさぎよく覚悟すれば這い上がれるのです。
人生80年の時代ですから20代は野球で言えば9回の攻撃のうちのまだ2回目ぐらいでしょう。
どんどん中継ぎに良い投手を出せるように作戦を立てたり、増してや9回裏でもさよなら逆転ホームランもありますし、人生ゲームは始まったばかりですよ。
人生で最も不安で苦しいのは20代であることは世の大人達が声をそろえて言っている事です。
若い内が花なんてのは大嘘ですよ。
その証拠にもう一度20代に戻りたいという大人は滅多に居ませんからね。
居るとしたら、もう一度戻って必死になって勉強をやり直したいという人くらいですね。
無為にゴロゴロ遊ぶために戻りたいと言う人は見事に居ませんよ。

何度も云いますが、どんなに長い時間を引きこもっていても、きっかけが無ければ辛い日々からは脱却出来ないのですからまず本当に自分の人生を守り育てるための「行動」をしましょう。

第一のポイントの「出会い」には、まず表に出る行動力が必要なんですよ。

第二のポイントですが、
先の彼らは「出会い」を求めていつまでも彷徨ってばかりいた様子は余り見られません。
最初の夢や憧れから挫折しても、目の前に偶然現れたにすぎない、出会い頭と言っても良い仕事にでも取り合えずある程度の時間を一所懸命に取り組んでいます。
そしてやみくもにその状態のまま数年の時間を過ごしているのです。
そうこうして仕事との格闘を続けている間に10年以上の時が過ぎて、やっと仕事の面白さが解る余裕が出てくると今度は自発的に仕事に取り組み始めるのです。
その頑張りの積み重ねが人々の耳目を集める結果を生み、テレビに出演する機会を得るのですね。
ここでの学習ポイントはずばり「時間」です。
「石の上にも三年」と言うやつですよ。

自分にとってその仕事が本当に合っているかどうかは数年の「時間」を経ないと解らないもので、
「変わり身の速さ」で自分を探し当てた人は滅多にいないようですよ。
日本人の価値観では「変わり身の速い人」は社会人として最も大事な「信用」を得られないという事も有るでしょう。
その意味で「不器用な人」が結果として自分を探し当てているケースが世間を見渡しても意外と多いですね。

昔から出世の秘訣として「運、鈍、根」と言われるのは本当なんですね。
「運」も色々有るでしょうが第一の「運」はつまり「出会い」でしょうね。
「鈍」は一度取り組んだことには納得いくまでは変えない精神的「不器用さ」です。「変わり身のおそさ」ですか。
「根」は「時間」ですね。「継続は力なり」です。
これが実はあきっぽい私自身にも一番きついです条件ですが、おそらく
ほとんどの人に一番キツイからこそ「継続する少数者」に栄冠(実力)が与えられるのでしょう。

言い方を変えると「自分探し」の秘訣にも「運、鈍、根」は生きていると私は思います。
世の成功者の話を書物で読むとほぼこれは間違いないですよ。

「自分探しの旅」と称して短期間に職業を転々としている若者が多いようですが、探している「自分」は確固たる姿でどこかに完成形で存在するのではなく、逆にひょっとしたら目の前に今も見えているかも知れな対象の中に不定形な形で存在している可能性が高いのです。
これを探している「自分」に時間と情熱を傾けて育てていくのではないでしょうか?


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