中国医学の基本的理念PARTⅡ のまとめ |
中国医学の先達は
「万物はバランス(均衡)によって保たれているので、多すぎるモノはそぎ落とし、足りないモノは補っていけば又もと通りの自然(健康体)に戻れる」という老子の考えに即して五臓六腑を含む人体の全てのシステムを陰と陽の相対する二つの要素に分けたのです。
その陰陽の内部にも又、五つの要素が含まれていて、これらの間には相互に「birth & help」と「control & fight」の両面があり,お互いにうまく力がバランス(均衡)する事で「陰」「陽」のシステムの負担も過不足がなく、両方の質量が等しいときがすなわち「健康」であると考えました このように中国医学とは 病気とは人体のハードシステムの力とソフト(気、血、水)の質量&形状とがバランスを失って起こすものと考えて診断治療をする「生命システム(バランス)の歪みチェック医学」であると言ってしまって良いと思います。 ※人体のシステムに歪みや狂いが生じる原因(きっかけ)や過程(病証)は様々でも、回復過程は(食欲が正しくなり、顔色や肌艶が良くなり、疲労が減って機嫌が良くなる等々)多くは共通していることからも「病気」というモノの性格が常に全身を視野に入れるべきモノであることが良く判りますね。 「どんな病気も回復過程はほぼ同じである」この事実にもっと注目して欲しいですね。 極端に言えば、ガンであろうとカゼであろうと「元の健康状態への戻り方」は食欲~顔色~元気へと大差ないのですから。 又最近よく言われる「未病」とは人体に於ける「陰陽」の質量バランスの崩れ始めた、つまり「歪み」が生まれた状態で、この歪みが回復せず固定したのが「病気」と言うことに成ります。 繰り返しますと 相対する二つの要素の関係(陰陽)と、その内部で絶えず変化する更なる五つの要素の考え方(五行)を人間の生命の営みにも応用して理論付け、体系化を図って、人体の生理、病理、外部環境との関係を説明し、「陰陽論」で主に病気の性質を、「五行説」で主に病気の現状と予後を伺って、治療を行っているのが中国伝統医学なんですね。 次の更新では前述の五臓六腑のハードを巡るソフトにあたる「気、血、水」や、そもそも「五臓六腑」とは何なのか等の各論に進みたいと思います。
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中国医学とは、前述のように「陰陽五行」の考えを 生命活動に当てはめて理論付け、体系化したものなのですが 日本の漢方医学では「陰陽論」は用いますが、(つまり「陰陽虚実」で病気の診断はしますが) 「五行説」の方は受け入れずに発達しました。 江戸時代の名漢方医、宮中の侍医でもあり、天下に名声を轟かせていた 山脇東洋が 1754年.2月7日、日本初の死体解剖(死刑囚)を京都で行いました。 (時の京都所司代、若狭の小浜藩主.酒井忠用の大英断により許可が与えられました。古くは大宝律令(701年)により人体解剖は明文によって禁止されていたのです。) 彼はかねてより疑問であった人体内部をその目で実際に確かめ (陰陽五行で書かれた)中国の医学書に偽りアリと直後に著した彼の書「蔵志」において断じました。 それ以来、物議を醸しながらも結局、五行説は日本では打ち消されたのです。 科学の発達していない時代では 人体の生理、病理、治療までの解釈を陰陽五行論で行う事を 単なる方便(例え話のようなもの)とは知らず、そのまんま生命の営みを解明した真理である と思っていたのですね。 ちなみに日本初の欧文翻訳書でもある医学書「解体新書」の著者.杉田玄白と前野良沢らが江戸、小塚原刑場でオランダの医書「ターヘルアナトミア」を片手に、江戸で有名な悪女「青茶婆:あおちゃばばあ」の刑死体解剖を行ったのは、それから17年後の1771年の春3月4日でした。 この杉田玄白も又 若狭の小浜藩主.酒井候の侍医でありました。私の勝手な想像ですが、小浜藩主酒井忠用(ただもち)→山脇東洋の日本初の人体解剖は若き杉田玄白にも大きな事件であったことでしょう。(山脇の解剖で前例が出来たので、その後数例の解剖が山脇の弟子などによって行われました。) 山脇東洋の解剖がなければ「解体新書」は無かったのではないでしょうか? そしてカルチャーショック的書物の「解体新書」がなかったら、明治維新に至る怒濤の西洋文明のダウンロード時代は訪れなかったに違いない。歴史にもしもは禁物だけど、酒井忠用の決断が生んだモノは何と大きなモノだったかと思わずにはいられません。 話が横道にそれましたね。 五行説に戻しましょう! 山脇東洋がオピニオンリーダーに成り、この五行説を退けることによって、かつては一つであった日本と中国の伝統医学がたもとを分かち、以来250年後の今日まで日本は独自の漢方医学の道を歩むこととなったのです。 しかし、それは模索と錯誤の霧の中を彷徨う如しであって、如何に茨の道であったかは現在の日本の漢方医学状況(脳天気な表現で言うと”百花繚乱”)が現しています。 現代医学においても生命は未だ謎の宝庫である事には違いない訳ですから、「陰陽五行の医学」も 生命システムの何がしかの真理(法則)の一端を解いていないとは言い切れないはずです。イコール真理ではないけれど、真理の断片が仕訳され、そこかしこに転がっている、そんな感じではないでしょうか? (早い話、全否定したところで得るモノが有るわけではない) 無自覚的に用いるのでなければ、つまり常に関連の最新研究データを同時に視野に入れながら応用するのであれば、大いに臨床の友と成り得ると私は思っています。 |
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