中国医学の謎


肩こり治療のツボが手であったり、頭痛のツボが足にあったりする中国(鍼灸)医学は日常接している西洋医学とは病気に対する考え方や治療法がどうやら、とんでもなく違っているらしいことは皆さんも既にお気づきでしょう。
このぺージは、そのとんでもなく違っている「とんでもない部分」 について何がどんな風にとんでもないのかの中国医学のを探ってみたいと思います。
 つまり早い話が中国医学の核心に迫る(?)のですから難解な言葉も出てくるかも知れませんが、なんとか頑張って読破してね!


中国伝統医学の基本的理念  PARTⅠ
プロローグその根幹となる哲学について

私ごときが言うのも本当におこがましいのだけれど、洋の東西を問わずおよそ如何なる科学の発展にも推進力となる「哲学」が必要なはずです。
この「哲学」は日々の研究の為の「エネルギー源」でありながら、時には「灯台の灯」になって眼前の視界を広げ又ある時は懐中電灯のように「足もと」を照らして、未知の世界への「旅人=科学者」を勇気づけるのです。


ちょっと考えてもみて下さい!
あの魔女裁判に明け暮れて、多くの罪のない人々を(あのジャンヌダルクも)処刑し続けたカソリック教会が牛耳っていた中世ヨーロッパの同じ土地「デカルト」の出現なくして、息を潜めていたプラトンの末裔達を勇気づけ産業革命を巻き起こして、それ以後の堰を切ったかのような怒濤の自然科学(もちろん医学もですよ)の発展は想像できないでしょう?

同じように古代中国医学の研究、発展にも実はこのデカルト的存在がありました。

「老子」です。
彼は孔子(儒教)の堅苦しい教えとは違って「道教」で自然体を尊ぶ、今で言う「ナチュラル」の大切さを説いた人です。
人為的なるモノの限界を察して「エコロジー」の先駆者でした。

特に古代中国人は
「万物はバランス(均衡)によって保たれているので、多すぎるモノはそぎ落とし、足りないモノは補っていけば又もと通りの自然な状態に戻れる」という「老子」の部分を医学の根本的な思想として取り入れました。
そして
大きな人為(手術など)を出来るだけ排して、より自然で穏やかな手段によって元の均衡(健康状態)に戻す
この考え方が病気に対する中国医学の治療哲学となりました。

そして21世紀を前にした、やっと今頃になって、この哲学は東洋を越えて欧米の人々の共感をも得るようになったのです。

ですから最近の世界を巻き込んだ東洋医学ブームとは、まさに、この「老子」の哲学が2千400年の時を経て現代の地球人の心に響き渡った(シンパシーを与えた)という事に他ならないのではないでしょうか?


「老子」による自然思想を受け入れた根本の治療哲学が決まっていても、それだけで具体的な診断術や治療法を持った医学として成立させる事は出来ませんね。

そこで中国医学の創始者達は、バランス(均衡)を現実的に理解するために、今度は「易」により広く知られるようになった思想である「万物は全て「陰」「と「陽」という二つの相反する要素から成り立っている」という「陰陽論」を借用しました。
そしてこの陰陽の質量が等しく保たれているのが、すなわち自然な健康状態であり、病気とは陰陽のバランスの崩れた状態で、これを本来の自然なバランス(均衡)に戻す事が求められる医学(病気の治療)であると考えました。
この考え方が、つまり中国医学の基本的理念の大黒柱って訳ですね。

病気に対する考え方の違い

健康な状態 病気 病気
西洋医学
ノーマル

アブノーマル

アブノーマル
中国医学

バランス(平衡)


アンバランス


アンバランス

ではこんな「陰陽論」からどんな風に
病気の診断&治療へ具体的に発展させているか
中国医学の謎の旅へGO TRIP!
中国伝統医学の基本的理念  PARTⅡ
 陰陽五行で人体を読み解く 
   


※ 「老子」
彼の生い立ちや詳細は不明ですが、「史記」の記載によると孔子と孟子の間くらいの紀元前4世紀頃の人です。
紀元前4世紀頃というと何と日本の縄文時代最後期で、邪馬台国の卑弥呼よりもおよそ7百年も前の人です。

長ぁ~い注釈付きの本が各種出ていますが、オリジナルの文章はA4の紙に標準フォントサイズでビッシリ印刷すればおそらく4枚以内で収まる程度の長さです。
後世の人が(漢の河上公)数行づつを1章に分け全体を81章にして、各章毎に内容を要約したサブタイトルを付けていますので、ちょこちょことつまみ読み出来ます。

彼の哲学は見方を変えると人知の限界を説いているとも言えるので若者が余り入れ込んで読むべき書ではないかもね。


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