★日本鍼灸への疑問★
>名前 =クロ
>性別 = 女性
>age =20to29
> メッセージ
> こんにちわ。
> HP、いつも興味深く拝見させて頂いております。>
> わたしは、鍼灸師になりたいと思っている者です。(こんな人多いですよね)
> まだ専門学校にも行ってませんが、> 開業までを目指すつもりでいます。
> 最近いろいろと鍼灸について調べているのですが、 とても気になることが出てきました。
> できましたら、先生にお教えいただきたいのですが。。。
> この前、針(中医学のほう?)に治療で通ってる知人に、 鍼灸師になりたいと伝えたら、 「日本の鍼じゃ効かないよ。中医学のほうの針じゃなきゃ(?)」と言われました。
> 初歩的な質問ですみませんが、> 中国の針と日本の鍼では、治療法などもかなり異なるのですか?
>> 中国では頭や目の横などにも深く針を打ったりしているようですが、日本では、鍼灸師の資格が有っても>そのような箇所に深く打ったりしてはいけないのでしょうか?>(違法になるのですか?)

> よく「1.5センチまでしか打たない」とか書いてあるのですが> 実際に「何センチまでしか打ってはいけない」とか決まりがあるのですか?
> 中医学を研究されている方々は、その辺をどうやってやられているのかなと 気になっています。
> 今、まだ中医学の初歩的な本を読み始めたところなので、 かなり質問が変かもしれません。すみません。。
> 実際に中医学を学ばれて、> 治療されている先生のご意見を伺いたかったので メールをさせて頂きました。
> 大変お忙しいと思いますが、> 簡単でもかまいませんのでお返事頂けましたら> うれしいです。
> どうぞよろしくお願い致します!

こんにちは、ツボ探検隊です。
返信が遅れて誠に失礼いたしました。早速ながらご質問に関してなのですが、先ず最初にご自身が鍼灸院にて鍼治療を受けられたことはお有りでしょうか? 何しろ現在では鍼灸師免許を取得しても鍼だけで食べていける人は100人に1人居るか居ないかの時代に成っていますから、一度や二度は体験された上に本当におやりになりたいお仕事であるかどうかの再考をお勧め致します。 実はここ数年間に鍼灸師を養成する学校が乱立しまして、もの凄い勢いで鍼灸資格者が就職先も見つからないままに巷に放出(失礼!)されています。つまり不景気なこの時代に需要を無視して資格取得者がどんどん供給(養成)されているのです。その為に500万円以上使って(資格取得までの平均的支出金額)せっかく資格を取っても鍼灸では食べていけないと廃業したり、元の職業に戻られる方が増えてきましたので、老婆心ながら余計な事から先にお訊きいたしました。
さて肝腎の頂いたご質問に関してですが、同様の御質問がこのところ相次いでおりますので私見も含めて詳しく(しつこく?)述べさせていただきます。

「中国の針と日本の鍼では、治療法などもかなり異なるのですか?」:

中国では一般に陰陽五行説を元にして考えられた中医学理論に基づき病気を診断して治療を進めます。
(陰陽五行説について説明しますと長くなりますので検索サイトからお調べ下さい。もっとも鍼灸臨床面から検討しますと、この理論はもっぱら生薬治療を目的とした理論の様に思えます。鍼灸では必ずしもこの理論が「丸ごと」は生きて来ない感を持っています)
しかし日本では江戸時代前期、当時の医学に於けるオピニオンリーダーとも言うべき漢方医:山脇東洋が、(もっともこの時代は「医師」イコール「漢方医」を意味する時代です)刑死者の解剖を行った結果、この陰陽五行説を大きく否定しましたので、以降は現在に至るまで鍼灸も陰陽五行説を丸ごとは採らず基本には掴まえつつも日本独自の考え方を模索しながら進歩してきました。しかし余りに多くの人間が長い時代を経て模索してきた結果、様々なな考え方(流派)が入り乱れ「ピンからキリまで」容易に一括りには出来ない様相を呈してしまった感があります。「日本人は何と試行錯誤、工夫好きな人種であることか」とこの鍼灸カテゴリーからだけでも驚かされる程の百花繚乱の鍼事情と成っています。例えば現在の中国でも鍼に電気を流す方法(電気鍼)や身体に電気を流す電気治療はごくありふれた治療風景となっていますが、身体や鍼に電気を流す治療方法を考えたのは実は日本人;故中谷良雄氏で50年ほど前のことです。
ですから、貴方のお友達が言われる「日本の鍼じゃ効かないよ。中医学のほうの針じゃなきゃ(?)」・・もあるタイプの日本の鍼治療ではその通りかも知れません。が、しかし別のタイプの日本の鍼治療では中国式よりも効果が高かったりもしますから決して正しい意見とは言えません。両国の鍼灸事情に詳しい中国人の医療専門家も「生薬(漢方薬)治療は中国の方が明らかに優れているが鍼灸では必ずしもそうではない」とよく仰られています。(これはつまり先に述べました如く中医学理論は生薬処方を目的として発達したもので鍼灸には必ずしも整合しないからです)

中国でも勉強熱心な鍼灸医ならは日本人鍼灸師の書いた書物も読んでいます。(日本人鍼灸師の本も中国語に翻訳されているのです)確かに日本ではあんまやマッサージと鍼は同じレベルで考えられていて、中国の様に何処の病院でも鍼灸科が有る訳も無く、つまり病気を治す医学としての認識が無く、所詮その程度の需要しか無いので、その程度の治療技術しか持たない鍼灸師が多い事に成ってしまっています。特に近年は鍼灸専門院が激減して保険診療を標榜した鍼灸師免許を持つ、柔道整復師が開業した「鍼灸接骨院」が急増しています。しかし日本の柔道整復師免許による整復術は現代西洋医学に基づいた現代医学の一治療術ですから、接骨院での鍼治療も東洋医学理論にも基づいた治療は行われていない、マッサージレベルの鍼治療が普通です。これは言い換えますと昔なら鍼灸専門院で治していた多くの病気もこれらの接骨鍼灸施設では治せない事が普通になって来ているのです。この近年の接骨鍼灸院の急増は長い目で見れば日本鍼灸の衰退とも成りかねない大問題と私は考えています。
しかし、一方では日本でも中国鍼灸をもしっかり学んで日本鍼灸の長所を残しつつも中医鍼灸の良い所を修得する鍼灸師も増えていますし、逆に中国では都会を中心に鍼も随分と細くなって刺激量も工夫され日本鍼に近づいています。

察するに、おそらく医学理論以外での日中の一番の違いは「ツボ」に対する考え方では無いでしょうか。

日本では「ツボは体表に発している体内情報の信号」という30年以上も前から私どももずっと言い続けています事柄が徐々に賛同者を得て浸透して参りまして、個々の体表観察が中国よりも丁寧に行われています。

しかしこの考え方は中国に渡った際に私がどんなにしつこく説明しましてもごく一部を除いて、ほとんどの中国人鍼灸医に理解されませんでした。彼らにとってツボの位置などは全員が全て同じ尺度上に決まって存在しているのです。(=骨度法)決まっていると信じていますから、その都度ツボを触って「ツボとは一体何なのか?」と自分自身の感覚で確かめることは有りません。もしも確かめていれば、例えば前回治療時の「足の三里」と今回の「足の三里」ではツボの様子がどの様に変わったかで、この患者さんの前回と今回との身体の変化を確かめる、「問診」や「脈診」以外のもう一つの大きな診断基準と出来るのですが、その様な事は中国鍼灸では普通は行われていません。この為に個々の患者さんへのきめ細かな対応に差が出てきます。近頃では中国に何年も留学された日本人で「結局中国鍼は日本の鍼ほど効かない事が留学してよく分かった」と結論付ける人まで出ています。病気の種類にもよるところは大いにありますが、診察診断を仔細に行うタイプの日本の流派では(少なくとも中国人よりも筋肉や内臓の虚弱な人が多い日本人に対しては)その効果は中国式を上回っていると言えます。

結局は長所と短所はどちらにも有りますから、これから学ばれる方は日本鍼灸をしっかり学んだ後に中医学鍼灸を学ばれるのがやはり妥当でしょうね。 ほとんどの病院で鍼灸科がある中国では多くの疾患に対する臨床例や治癒率データには事欠きませんから中国は鍼灸を学ぶ者にとって貴重なデータ集積場であることは間違い有りません。

それから鍼を刺す場所や深さですが、日本でも何処に刺しても何センチ刺しても問題有りませんし、その様な法律的決まりは有りません。刺していけない場所、深さは「生命を脅かす=危険」と言う技術的意味でしかなく日本も中国もそれは同じです。少しでも刺していけない場所があるとすれば「目玉」くらいでしょうか。例えば私もヘソの穴の真ん中〔神けつ)から鍼を10㎝くらい腹の中に刺された治療経験有りますが、当たり前ですが、何も問題は無かったですよ。
「何センチまでしか打ってはいけない」というのは臓器や重要な組織が比較的体表に近い位置にあって、深く刺すとそれらを傷つけてしまうからです。これは中国でも同じように「何センチまでしか打ってはいけない」のです。
もちろん頭や目の横なども日本の鍼灸師も毎日のように鍼を刺していると思いますよ。私も患者さんの頭や顔に鍼を刺さない日など1日も有りませんし、実際に頭や顔には効果の高い非常に大事なツボが多いので、もしもここに刺せないとなると私の鍼灸師生命は絶たれてしまいます。
但し、最初から病気治療では無い、治療補助的な按摩、マッサージと同様の効果を目的とする鍼では頭や顔には鍼をしないかも知れませんね。おそらく貴方のお友達は接骨院で鍼治療を受けたか、マッサージに重心をおいた鍼灸師さんの治療しか経験無かったのだと思います。

先の歴史的経緯により日本の鍼治療は良い意味でも悪い意味でも中国と違って鍼灸師さん次第で大きく違います。西洋文化を取り入れることが国策となった明治期に漢方医を医師と認めない制度が定まったり(これに先だって「漢方医」側からの提案で当時の国民病とも云うべき「脚気」患者を多く集め「蘭方医」=西洋医学と治療競争を行いました。結果「漢方医」の圧勝で有ったにも関わらず時の趨勢が「漢方医」の医師資格剥奪を法律で決めたのです)、鍼灸医学に対する社会の認識の差によって、つまりニーズの違いにより養成期間も短くて中国の鍼灸医よりも治療技術が劣っている者が多いのは事実ですが、個人的に日頃から研究を重ねて優れた技術を持つ者も多く存在するのもこれも又事実なのです。近年アメリカのハーバード大学医学部でも鍼灸講座が開かれたのですが、これには日本鍼灸が選ばれ日本人が教えています。言うまでもないことですが、中国人鍼灸医が90%以上を占めるアメリカで比較検討された果てに日本鍼灸が選ばれたのです。

もう一つ余計な事かも知れませんが、付け加えさせて頂きたい事柄があります。中国人と日本人の「仕事」に対する考え方の違いです。もっと大きく「人生観」の違いと言っても良いでしょう。一般に中国人にとって「仕事」はお金を稼ぐ為の手段であってそれ以上の何モノでも無いらしいのです。(どうやら中国人に限らず大多数の外国人にとって同じ様ですが。)極端に言えば一生遊んで暮らせるだけの金が手に入れば、若くてももう悠々自適、一生働かないのが理想と考えているのです。仕事に一生懸命に取り組む事により自己の精神を鍛えたり、人間として社会人として一人前に成長したりしようとは思わないのです。つまり「仕事」に対して金を稼ぐ手段以外の何ものも求めていないので結果的に仕事は「腰掛け」であり「アルバイト感覚」と成ってしまいます。
つまり濃密な血族社会で生きる中国人と「近くの他人」以下の血縁でしかない日本人では人間としての「鍛錬の場」が丸で違っていると言うことなのでしょう。
逆に私も含めて多くの日本人では「好きな仕事」で有れば出来るだけ長く働きたい、仕事を通じて社会の一員として生涯を全うしたいと願っているはずです。日本人の「理想」としては働くのは必ずしもお金の為だけでは無く、仕事に対して誠実に取り組むこと、懸命に行うことと人間としての精神的満足感とが繋がっています。「仕事に一生を捧げる」「生涯現役」は日本人としては理想的生き方の一つで有り、すべての「仕事」を金の為の「必要悪」だとは考えていないはずです。
中国人に「生涯現役」云々を説明するとそれは中国人には「悲惨で最悪の人生」を意味するそうです。中国人は一日も早く現役を引退したいが為に必死で金を貯める目的で働くのだそうです。この違いは何とも大きい。
反して、ちょっときれい事かも知れませんが、時には金銭を度外視しても自分の精神的充足、プライドのために働くことが有るのが日本人ではないでしょうか?  恥ずかしながら、私にとって「鍼灸」はその様な「仕事」であり、もちろん私のみ成らず多くの日本人鍼灸師も同じであろうと信じています。
要は「Laber」と「work」の違いですね。
Laber =経済性(金銭)のみで換算する労動  ※Work=金銭以外の価値を生み出す労働

これまで強力なコネを頂きまして中国の様々な病院に出掛け、有名な鍼灸医の治療を見学させて頂きました。ところが何処でも最初は日本人如きに何で教える必要が有るのか・・といった敵意(反日感情)をむき出しの鍼灸医でも時間と共に徐々にとても親切な態度に変わって行かれるのです。後から通訳を通じて「仕事熱心さに感動した。日本が豊かな国になった理由がやっと今分かった」などとよく言われました。身銭を切ってそれまでの患者さんの信頼を失う事を覚悟で長く休業して中国に行っているのですから、熱心に見聞するのは当たり前ですが、中国では例え名医の方々でも身銭をはたいて仕事の研鑽に取り組む話しなどは聞いたことが無いらしいのです。「金の為に仕事をしているはずなのに仕事の為に金を使っては働く意味がない」と嘲笑されました。 日本人ではどの様な職業の方でもごく当たり前に持っている「職業意識」職業人としてのプライド(職人かたぎ)を持つことが中国では希有なことだとここで聞かされたのです。日本製品の優秀さもおそらくこの様な職業意識を持った日本人達によって作られているからに違いないと思い至りました。中国にはいわゆる「職人肌」とか「職人文化」というものが昔から育たなかったのは、中国と日本とでは「仕事」「職業」に対する感覚がまるっきり違うからなのです。(先の「Laber」と「workの違い) 医師もちょっとでも給料の高い病院にどんどん転院してしまい、翌年再度病院を訪問するともう先の医師が居ない事が多々ありました。そしてどこの病院で聞いても元そこで勤務して居た医師の転院先が不明なのです。

「仕事が生き甲斐」などと言うと今時の若い人達からバカにされるかも知れませんが、もちろん家族や友人関係はかけがえの無いものですが、その「家族」をしても、ましてや「遊び」においては「仕事」以上に私の如き「凡人」を人間として鍛えて呉れるでしょうか?  
確かに「仕事」は最初は食い扶持(金)を得るために始めたモノですが、食い扶持を確実にコンスタントに得るためには様々な忍耐、葛藤、工夫や精進〔がんばり〕を否が応でも強いられます。そしてそれらを一つ一つ乗り越えていく段階で人としても成長して行くのだと思っています。例えば何の仕事も持たないで一生を遊んで暮らしたとしてどれだけの人間(大人)に成れるでしょうか?  「仕事」に対して一生懸命に目標達成に励むことで人間としての「尊厳=プライド」、「生」の充足感を味わおうとする、この日本人的とも言える仕事観で行なわれているのが「中医鍼灸」と違った「日本鍼灸」の隠れた特徴の一つではないかと私は秘かに思っています。(もちろん例外多数!!)

随分と遠回しになりましたが、同じ鍼灸を仕事とする者でも意識下においては実は相当に違うというお話です。(もちろんこれは一般論で例外はどちらにも多々あるのですが・・。)

数年前にオーストラリアの国立メルボルン大学鍼灸科に通っておられる日本人学生さんからメールを頂きましたが、見学実習に行くと中国人鍼灸院よりも日本人鍼灸院の方が学生からの人気が高いとメールに書かれていました。日本人鍼灸師が患者さんに対して親身になって応対をしているのに対して中国人鍼灸院では患者さんを事務的な単なる「金づる」扱いなのが見え見えとの事でした。そこでは日本人鍼灸師の様に成りたいというオーストラリア人の希望者が多かったそうです。もちろんそうでない中国人鍼灸医の存在も私は知っていますが、鍼灸を学ぶために外国に出ている他の日本人からはオーストラリアの例と同じ様な内容のメールを何度か頂いています。もしも日本でも鍼灸に対する認識がもっともっと深まれば、素晴らしい名医が生まれる裾野は理論的部分を十分に修得した人ならば先の理由により日本の方が広いように感じています。もしも貴女も鍼灸を学ばれるのならば、鍼灸の研鑽に励まれることと貴女が貴女らしく成長し続けることとが少しも違わない「Work」としての鍼灸師で有って欲しいと願っていますよ。

※今一度打ち込んだ全文を読み返してみますと、年のせいか自己を棚に上げて何ともお説教臭い返信文に成っていること平に陳謝致します。


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