> 性別 = 女性 > age = under20 >メッセージ = > 東洋医学は未病を治せると健康食品の広告なんかでよく見ます。 >未病って何のことですか? >東洋医学に興味があるので教えてください。よろしくお願いします。 |
maho様 こんにちは!ご質問有り難うございます。実は最近も同じようなご質問を頂きましたので、その時にお送りしたメールの内容に一部加筆をして説明させて貰います。 けっこう長くなりそうですが、では! 先ず私が考える「未病」について:中国古典医学に於ける未病の考え方も時代、医学者、識者によって一様では無く、従って私も現在に於ける私自身の「未病の考え方」で話を進めさせて頂きます。 現在広告やマスコミなどで言われている「末病」というものはむしろ西洋現代医学で「病気の範疇に入っていない病」と言う意味に解釈すれば分かりやすいと思います。 実は西洋医学と東洋医学(ここでは主に中国医学を指します)では「健康」に対する考え方が大きく違います。 つまり東洋医学と西洋医学では「何がどう違う?:HOW&WHAT?」かを問うのでは無く、「なぜ違うか?=WHY?」と考えるべきなのですね。 つまり「これが健康な人間の身体だ!」という「健康の典型例」健康のモデル、尺度が違うのですから、「健康で無い」イコール「病気のモデル」も違って当然です。 もっとも重要な臓器や組織にはっきりした損傷や異変が現れる病気の場合はどちらの医学でも共通した確かな「病気」として認識され治療方法が示されますが、境界線的な、ボーダーライン上のケースでは理念の違いが露呈して診断に大きな違いが出て来ます。 分かり易く卑近な例で例えましょう。 「美人の典型」について語らせると個人個人でかなり違いますよね? 「沢口靖子」さんこそを「美人の代表」であるとする人と「飯島直子」さんを一番の美人代表とする人では、じゃあどこまで顔が崩れると「不美人」に成るかの「不美人ボーダーライン」も自ずと違いますよね。 いわゆる笑顔やニュアンスの「可愛い顔」こそ「美人」と考える人と、一つ一つの目鼻の造作が「造形的に完成されている顔」を「美人」とする人とでは、中山美穂さんや藤原紀香さん等どこから見ても「美人っぽい顔」には意見は同じでも久本雅美さんや江角マキコさん等々ご本人には失礼ですが「微妙な人」(?)については意見が分かれるのではないですか? 実は現在よく言われている「未病」とは正しくこの「微妙な人」で起こってくるのです。 久本さんは目鼻立ちが整っていて「沢口靖子派」から言えば「美人の範疇」に入るでしょう? 少なくとも「不美人」ではありません。つまり顔に於けるノーマル:「正常=健康」です。しかし「可愛い好き」の「飯島派」からはおそらく「不美人」=「不健康」と見なされるのではないですか? この様に美人のモデル、尺度が違うと同じ人でも「美人=健康」と思われたり「不美人=不健康」の烙印を押されたりしてしまいます。(ちなみに飯島派は圧倒的に男に多いのが特徴。) つまり「未病」とは現代医学ではアブノーマル(病的)の範疇に入らないが健康に対する理念の違う中国医学では立派にアブノーマル(病的)な状態にある(当然病気と認識されているのだから治療方法も考えられている)・・・という症状に対してネーミングされていると考えていただくと分かり良いと思います。
もう少し詳しく説明いたしますと、 西洋医学では身体の一つ一つの臓器や組織に損傷が無く本来の行うべき機能を全うしている状態を「健康」と見なします。損傷のない「美品」で「完動」している臓器や組織(部品)が揺るぎなくぎっしり詰まった状態が「健康な身体」This is a model of healthy body なのです。 言い換えると身体を形作っている「ハード」がしっかりしている事が健康の絶対条件・・・これが西洋医学で云う「健康」です。 (一つ一つの顔の部品:ハードが完成している=つまり西洋医学は沢口靖子美人派です) ですから各内臓組織の形や機能が各種検査などで異常が無ければ「病気」とは見なされません。 例え本人が色々な苦しい症状を訴えても「病気」ではないのですから、当然「病名」は付かず「治療方法」はありません。それでも患者さんがしつこく苦痛を訴えると「心身症=うつ病」を疑われるか「自律神経失調症」との病名は頂けるかも知れませんが、有効な治療方法は与えられません。 ところが中国医学では「内臓や身体組織=ハード」自体には余り重きを置きません。要するに「ハード」はそこを巡る「ソフト」或いは「コンテンツ」と言うべきでしょうか、それらがしっかりしていれば壊れ無いはずだという考えが基本にあるからです。ハードの問題はソフトやコンテンツ次第だって事ですね。 (東洋医学は顔立ち(ハード)よりも表情(コンテンツ)に重きを置く=飯島直子美人派ですね。「沢口靖子美人派」に「不美人」と烙印を下されると最終的には解決方法は「整形美容手術」しかないが、「飯島派」に不美人と言われても髪型や化粧法、笑顔や愛嬌を改善すれば何とか成る感じです。ですから東洋医学では手術で不具合を治す発想は無い) 要するに本来の有るべき中身(内容)が全身に過不足無く循環しバランスを保って内臓に満たされていれば容易には故障しないはずだと考えている医学なのです。言い方を替えると内臓や組織自体には何の問題も無い病気がたくさん有ると考えた医学です。その為に体内を巡る成分(ソフトやコンテンツ)の研究が第一に重んじられ、「気」の概念も生み出されたのです。しかし同時に理念上余り必要でないので器(ハード)を調べる解剖学を重要視しなく成ったのです。ですから中国医学の解剖学のお粗末さを指摘して全てが未熟で的外れな医学と後世の人たちから否定されるきっかけを作ってしまいましたね。(江戸時代の日本の蘭方医にはその様な判断を下した人が多かったと思います) しかしハードをほとんど無視してコンテンツのみを徹底的に観察し追求して出来上がった医学ですから人間ドックで検査しても出てこない、ハード自体には問題が無いちょっとしたファイルの欠損や異変も拾い上げてチェックする診察方法=「四診」を開発しており診断に用います。 これにより中国医学は些細な異変から今身体に起こりつつある異常を早くから発見し治療を進める事が出来る大きな特徴を持っています。これが現在「未病治療」と呼ばれているもので、皮膚上の異変を診るツボ診断→治療も実はその一つですね。
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