キリスト教における「バチカン」と云うか「中国伝統医学」、日本風に云うと「漢方医学」の世界一の研究機関、情報発信基地で11の付属研究所、9ヶ所の付属医療機関を持ち総勢2000名を超えるスタッフが従事しています。中国解放後、毛沢東主席の強い意向で1955年に設立され、特に近年の改革開放政策では自前の唯一(失礼!)世界に誇れる商品価値の高いアイテムとして生薬研究、針治療の可能性の研究、人材の養成などに一層のエネルギーが注がれるように成りました。古来より受け継がれてきた生薬処方も現代科学的方法で検証、再研究され現代医学の医薬品と比較してもその価値が高い事を次々と実験データ〔二重盲検法等による)を示し立証しています。同時にそれらの生薬医薬品を使った難病の予防、治療研究にも貴重なデータを次々と発表しています。特に多くの中国医学の薬剤原料(動植物鉱物等々)がバイオ医薬品としての新たな可能性が判明し最近の世界的なバイオブームに乗って現場を活気付けています。

鍼灸においてもWTOの研究機関として治療データ等の集積に貢献しています。
20年程前マスコミを賑わした「針麻酔」ニュース映像の数々もここから発信されました。現在も政府より委託された22の国家プロジェクト、200項目以上の研究課題に挑戦中だという事です。世界中より沢山の留学生を受け入れ中国医学の世界への普及にも力を入れています。 中国中医研究院のページへ

私の実感では(上海の中医薬大学でもそう思いましたが)欧米からの医師の研修生に比べると日本からの研修生は隣国の割には大変少ない様に思います。日本にも独自の伝統医学〔日本漢方)が有るにも関わらず医療現場での相対的地位が低く、日本のほとんどの医師は東洋医学についての知識量はアメリカの医師よりも遥かに少ないのが現実です。アメリカを始め欧米では「自然治癒力を利用し薬害の少ない東洋医学」の情報に疎い医師は「時代感覚のない不勉強な医師」としての烙印を押される立場に有るのに比して日本ではそれが一向に問題視されない事情に依ると考えられます。 
新たな視点による画期的な医療情報は常にアメリカから発信されている事実が何に基づいているか日本の医師達も早く気付いて欲しいと思います。

日本も中国から「漢方」として伝わって以来1000年以上に渡って発展した独自の伝統医学〔日本漢方)を有するのですから中国の様に国家レベルで日本伝統医学研究所を設立し、国家プロジェクトとして再研究に努めれば新たな東洋医学の発信基地として日本独自の生薬医薬品なども開発出来るかも知れないのに・・・と残念でなりません。日本がアメリカ、ドイツ、スイス等々新薬開発国に対して支払っている医薬品の特許料は年間数兆円という莫大な出超ですから、不景気なご時世では尚更考えさせられます。


付属研究所11ヶ所と付属病院9ヶ所,、各種定期刊行出版誌
<付属研究所>
第一臨床医薬研究所(西苑医院内) 第ニ臨床医薬研究所(広安門医院内) ●鍼灸研究所 ●臨床薬理研究所  ●老年医学研究所 ●中薬研究所 ●眼科研究所 ●中医基礎理論研究所  ●中医薬信息研究所 ●中国医史文献研究所 ●骨傷科研究所 

<付属医療機関>
★西苑医院 ★広安門医院 ★望京医院 ★長城医院 ★眼科医院 ★鍼灸研究所付属門診部 ★中医研究院門診部 ★基礎研究所付属門診部 ★研究生部門診部


<定期刊行出版誌>
◆中医雑誌 ◆中国鍼灸雑誌 ◆針刺研究 ◆世界鍼灸雑誌 ◆中国骨傷雑誌 ◆中国中医基礎医学雑誌◆中国中西医結合雑誌 ◆中国中医眼科雑誌  ◆家庭中医薬 ◆中国実験方剤学雑誌 ◆中華医史雑誌
国外医学・中医薬分冊 その他



 
「発揚祖国医薬遺産為社会主義建設服務 毛沢東1955年」読んで字の如しです。毛沢東以前の中国では古来より伝わる伝統医学に対して国家遺産という感覚が無く各医家が独自に子孫、徒弟制にて伝承していたのです。彼は解放後この伝統医学を民族の誇り、国威発揚の術とすべく国家による研究養成機関を全国各地に設立しました。国を挙げての中国医学の研究はこの時からスタートしたのです。 大変広い敷地内に各研究所、培訓センター等が配置されています。
広大な研究所への最初の入り口、正門です。 正門のすぐ横に鍼灸研究所の門診部(外来)が有ります。門診部長さんと記念撮影。画像の右端に経穴人形が写っていますよ。
この研究院が定期刊行している中医学誌の数々 ここで開発して市販されるに至った名薬も数多いそうです。
フランス、アメリカからの研修生達が推掌治療実習 イタリアからの鍼灸研修生とも交換しました。最近はイタリアが鍼灸ブームなのか中国の何処へ行ってもイタリア人留学生に会います。
付属の臨床研究施設では最新の医療機器を用いて伝統医学の臨床治験に望んでいます。